人気ブログランキング | 話題のタグを見る

サラリーマンの世界はこんなに煩わしくて面倒くさくて大変!

by sydneyellenwade

恥ずかしくて読めない

2012年の年末を最後にブログを書いていなかった。昨年末から最近までの9ヶ月の間に転居し、入籍し、結婚式を挙げた。人生の転換期を迎えて慌ただしく内省する暇もなく当然ブログを書く余裕もなく半年以上が過ぎた。強烈に実感しているわけではないが、今の私はもしかすると「幸福」の中にいるのかもしれない。

ふと思い立って、過去のブログを最初から読み返してみた。今読むと自分はなんて未熟だったんだろう、と思う。昔のブログを読んで感じたこと。

①人生なんて自分の思い通りになんんてならないし、世の中は理不尽や不平等であふれている、非常識なことばかり、腹が立つことも、不快に思うことも多々ある、それがあたりまえの世界なのだということに全く気付いていなかった。それに気づくまでに、これでもかこれでもかといろんな災難が降りかかる。もっと早く気付いてもいいものなのに、いつまでたっても理解しないSydney。

②自分がかわいくてかわいくて仕方がなかった。どんなに相手に想いをはせたところで、常にそこには自分中心の考えがあった。自意識過剰、誰もあなたのことなんてちっとも見てもいないのに、勝手に注目されていると勘違いしていた。本当に恥ずかしい。

③人間関係のトラブルが起きた時に、直接当人たちと本音ベースでの話し合いができていたら、その後の毎日も違ったものになっていただろうに、そんな知恵はなかった。それらしきことはちらっと頭をかすったようだが行動に移すことは決してなかった。例えばチワ子との一件だって、チワ子本人に「あなたは次晴のことをどう思っているのか」とか、修造に「あなたはなぜわたしをあの集団に投入しようと思ったのか、部長の意図はどこにあるのか」とか、妖怪婆と気楽に飲みに行って「何が不満なのか、いったいどうなれば満足なのか」そういう話をすればよかったのだ。美馬と信子との不倫騒動でも、信子本人に美馬が好きなのか、どこか好きなのか、どうなりたいのか、ぶっちゃけトークをすればよかったのだ、さとみに対してもしかり、なぜ私を道連れにしたのか、と。表面上は大人の対応をして、ぶつかることを極度に恐れた。本音をぶつけ合うことなく、自分で深く思考することに終始していた。

④周囲の私に対する期待に真正面から応えようとはしていなかった。妖怪婆軍団に私を放り込んだ部長も修造も私に何かを期待していたはずだ。妖怪婆たちを抑え込めるのはSydneyしかいない、と。信子が私に感情をぶつけてきたのは美馬への想いを自分ではコントロールすることができなかったからだ、さとみは自分ではとても新しい環境に飛び込むことができず、道連れにSydneyを引きづり込んだ、Sydneyだからこそ連れて行きたいと思ったのだ。だったら、彼らにそう思わせた私の中にある何かこそ付加価値だったのかもしれない。それは大した価値にもならない付加価値かもしれないが、彼らの期待に100%答える中で自分の付加価値が顕在化したかもしれない。曖昧なその付加価値というものが一体何なのか、わかってきたかもしれない。
あるいは、相手の要望や期待に100%答える見返りに、相手にもそれ相応の返報を要求する、という対応を取ってもよかったかもしれない。

これだけのことに気付くのに、7年間も要してしまった。そのためにどれだけの汗と涙を流したことだろう。それに派生してかかった物理的なコスト、ストレス解消の名の下に費やした無駄な消費や風邪をひいたり体調を崩したり、精神的な苦痛から健康を害したこと、私にはそれだけのプロセスがどうしても必要だったのだろうか。それによって得たこれらの教訓は私のこれからの人生の礎になってくれるだろうか?そして、なぜ、今になってそういうことにやっと気付くことができたのか?
by SydneyEllenWade | 2013-09-05 22:48 | その他 生きる